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夏目漱石『こゝろ』(新書判漱石全集12巻、岩波書店、1978年)

こゝろ』を読んだ。

高校一年生の頃だったか、半年くらいかけて少しずつ読むという授業があり、「私」とKの下宿の間取りを書いたり、「坑夫」に脱線したりしたぼんやりとした記憶がある。いや「坑夫」は小森陽一先生の授業だったか。

いまでも高校生くらいに授業で読んだりしているのだろうか、内容はここに紹介するまでもない。検索すればいくらでも出てくる。帝大生の「私」はふとしたことから鎌倉の海水浴場で「先生」と出会う。世の中に恬淡とした、妙に惹かれる人物である。学はありそうだが、なにをしているのかわからない。

都内に戻って、先生と奥さんが慎ましく暮らす家にお邪魔したりするようになるが、わかったのは、先生は何もしていないということである。大学に勤めているわけでもなし、さりとて文筆業でもない。ただ奥さんと暮らすだけの財産は持っているようす。「私」はそろそろ大学を卒業し、職を探さなければならない。病気を抱えて先の長くない父がいる田舎から、先生にどうかしてもらえという手紙も来るが、先生にそんなことをお願いするなんて気が引ける。そんな俗世の原理から超然としているところにこそ、先生らしさがあるんだし、嫌な顔をされるに決まっている。ずるずる引き伸ばしているうちに、父が倒れてとにかく帰省することになる。

父はだんだん悪くなる。いよいよ、というときに先生から手紙が来る。すぐに会いたいというから意外だ。そんなことを誰かに言うような人ではないし、第一私に言うとは。父はもう幾日も保たない、すぐには戻れないという返信を出してすぐ、驚くほど分厚い手紙が届く。これをあなたが手にする頃には、わたしはもうこの世に別れを告げているだろう、と書かれた──。それは、先生がなぜこうも恬淡とした人物となってしまったか、そしていま自殺しようとしているのか、若い日、奥さんをめぐって親友Kを裏切り、Kを死なせてしまった過去を告白する手紙だった。

というのが小説の構造で、その手紙の内容が物語の中心なんだろう。

純粋で、それがために少々神経が参っている親友を、住むところがなければ一緒に住もうと先生は下宿に誘う。その下宿は小石川にある、日露戦争?の未亡人がお嬢さんとふたり暮らす家。先生はお嬢さんに惹かれているんだけれど、言い出せないし、先生の方でも人生を賭けるほど他人を信用することはできるのかという拭い難い不審が心の底にある。両親を亡くしたのち、結局叔父に財産を騙し取られていたことがあるからだ。

恋心は募ってくる。しかし言い出せないうちに、だんだんKが恢復してきて、少しずつお嬢さんと会話したりしているのが気になってくる。お嬢さんをください、とKが先に未亡人に言ってしまったらどうしよう。そうなる前に自分から先に、お嬢さんが好きなんだ、とKに言わなければ。言いさえすれば、Kは自分を出し抜きはしないだろう。そんなことを悩んでいるうちに、逆にKに先に胸の内を告白され、焦った先生はKを裏切って未亡人に話をつけてしまう。Kには「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という彼の一番痛いところを抉る言葉を言い放った末に。

さて、先生、あるいは「私」に匹敵するような経験があれば、さぞ感想の書きようもあるだろうというのが最初に読んだときに思ったことだが、それは今も変わらないようだ。おもしろくって共感したり同情したりしながら読むんだけど、感想らしい感想があるかというと書くほどのことが見つからない。あと二十年ほど経ったらまた読むときがあるんだろうか、そのときには何を思うんだろうか。

夏目漱石こゝろ』(新書判漱石全集12巻、岩波書店、1978年)