気がつけばなんだかだいぶ暖かで、こうしてこの3ヶ月あまり、ぐちゃぐちゃにしてしまったスケジュールを立て直している途中の私は花見などできるのだろうか。
少しずつ読み進めている鶴見俊輔『期待と回想』(ちくま文庫、2022年)がおもしろい。/「伝記というのは、自分をクッションにして使い、相手をどういうふうに描くのかに受動的自己表現の方法があるんです。」と語りだす伝記についての章、「無所有の側からの国家批判というものがあって、それがアナキズムの意味だと思う。[略]いまは政府の国家、官僚の国家なんです。官僚の政治学ですね。それを無所有の観点からもう少し広げて、別の公というものをつくっていかなきゃいけない。」というアナキズムという方法について語る章。/何もかもぐずぐずになっているいま、いずれも考えるに値する。今年はなんとなく知ったつもりになっていてほとんど読んでいないこの人の本を読む年にしようかと思い始めている。(4/1)
今年度も引き続き沖縄のことを考える。いわゆる「琉球弧」という話をちゃんと頭にいれなければならない。なにかすぐに、と思って書店をうろうろして、やっぱりあった。「街道をゆく」シリーズ。物心ついたときからずっと新刊書店の店頭に並んでいる印象がある。『街道をゆく6 沖縄・先島への道』。2009年に新装版1刷、2019年に6刷。(4/2)
大澤真幸さんの新刊『我々の死者と未来の他者』(集英社インターナショナル新書、2024年)。村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』論。加藤典洋さんを補助線としながら『鬼滅の刃』、太宰治(「トカトントン」)、鶴見俊輔と吉本隆明の転向をめぐる議論、司馬遼太郎、門馬司+鹿子『満州アヘンスクワッド』、安彦良和『虹のトロツキー』、小川哲『地図と拳』とたどってゆく。/文芸評論家(がまだ存在しうるとして……)がする仕事なのではなかろうか、と思ってしまう。/「どの国民も、どの民俗も、どの人民も、自らの罪や過ちを見出すたびに、〈我々の死者〉を失ったところから、あらためて始めなくてはならない」(後半に傍点)。そのうえで、断固とした行動をとるための「クリティカルな機会は常にある」と結ぶ熱い内容。(4/6)
週末パラパラめくった本。安部公房『榎本武揚』、木田元『現代の哲学』、大江健三郎『遅れてきた青年』、諸星大二郎『西遊妖猿伝』ほか。(4/7)