ean9ceu@NDF.peq9uwg’s diary

。どな本だん読近最 https://twitter.com/ean9ceu

今週の読書(2024年4月1日〜4月7日)

気がつけばなんだかだいぶ暖かで、こうしてこの3ヶ月あまり、ぐちゃぐちゃにしてしまったスケジュールを立て直している途中の私は花見などできるのだろうか。

 

少しずつ読み進めている鶴見俊輔期待と回想』(ちくま文庫、2022年)がおもしろい。/「伝記というのは、自分をクッションにして使い、相手をどういうふうに描くのかに受動的自己表現の方法があるんです。」と語りだす伝記についての章、「無所有の側からの国家批判というものがあって、それがアナキズムの意味だと思う。[略]いまは政府の国家、官僚の国家なんです。官僚の政治学ですね。それを無所有の観点からもう少し広げて、別の公というものをつくっていかなきゃいけない。」というアナキズムという方法について語る章。/何もかもぐずぐずになっているいま、いずれも考えるに値する。今年はなんとなく知ったつもりになっていてほとんど読んでいないこの人の本を読む年にしようかと思い始めている。(4/1)

 

今年度も引き続き沖縄のことを考える。いわゆる「琉球弧」という話をちゃんと頭にいれなければならない。なにかすぐに、と思って書店をうろうろして、やっぱりあった。「街道をゆく」シリーズ。物心ついたときからずっと新刊書店の店頭に並んでいる印象がある。『街道をゆく6 沖縄・先島への道』。2009年に新装版1刷、2019年に6刷。(4/2)

 

大澤真幸さんの新刊『我々の死者と未来の他者』(集英社インターナショナル新書、2024年)。村上春樹ねじまき鳥クロニクル』論。加藤典洋さんを補助線としながら『鬼滅の刃』、太宰治(「トカトントン」)、鶴見俊輔吉本隆明の転向をめぐる議論、司馬遼太郎、門馬司+鹿子『満州アヘンスクワッド』、安彦良和『虹のトロツキー』、小川哲『地図と拳』とたどってゆく。/文芸評論家(がまだ存在しうるとして……)がする仕事なのではなかろうか、と思ってしまう。/「どの国民も、どの民俗も、どの人民も、自らの罪や過ちを見出すたびに、〈我々の死者〉を失ったところから、あらためて始めなくてはならない」(後半に傍点)。そのうえで、断固とした行動をとるための「クリティカルな機会は常にある」と結ぶ熱い内容。(4/6)

 

週末パラパラめくった本。安部公房榎本武揚』、木田元現代の哲学』、大江健三郎遅れてきた青年』、諸星大二郎西遊妖猿伝』ほか。(4/7)

今週の読書(3月25日〜3月31日)

 

……、このしばらくのあいだ、さまざまなことがあった。もういちど、かくことをつづけてみる……

 

再び沖縄に出張することになったので、片道半日以上の移動のあいだに読む本を数日前から考える。飛行機、バス、フェリーの計8時間弱。前回読んでいたのはジョン・バージャーだったから、と考えるがいい本が思い浮かばない。読みかけの本で近いのはおそらく安東次男だけど、このところ少々ストップ。建築関係は重たい本が多いし、クレーは(今回もまた)読めなそうだ。/パウル・クレーの『造形思考』は昨夏、きっかけがあって何度もページを捲ったけれど、どうも読めた気がしない。あの詩的な作品と、言葉によってかなりロジカルに構成された内容とがどうしても像を結ばない。作品のほうを甘く?主観的に捉えすぎているのだとはわかるけれども。/選んだのはクンデラ邂逅:クンデラ文学・芸術論集』。本棚にあったのだけど、どういう理由で手に入れたのか忘れてしまった。引用確認などではなさそう。クンデラの小説は読まずに小説論を読んでいるだけのあまり良くない読者だけれど。加えて建築家の光嶋祐介さんの『これからの建築』。そういえば前に同じく沖縄に出向いたときには平松剛『磯崎新の「都庁」』だったのだった。気の思い旅だとしても、本を選ぶのは楽しい。(3/28)

 

赤瀬川原平尾辻克彦)を久しぶりに読む。やっぱりこの人は資本主義に絡んでいる?ときがいちばんおもしろい。/「〜才能というものをお金とか物質みたいに考えていることが露見するのが恥ずかしいのだった。それはつまり才能というのを、カメラとか自動車の「性能」と同じように考えていることになるわけである。それは一見クールな考え方のように思えるけれど、その人が死んだところで思わず、/「ああ才能があるのにもったいない」/と考えてしまうのは、〜」/わたしたちがこの行き過ぎた資本主義に対抗してゆくとき、足場になるのはダンケツとかジユウとかそういった肩に力のはいったものではなくて、思わずうつむいてしまうような恥じらいというものではなかろうか、なんてことを考える。どこからか湧いてくるこのかすかな気持ち。/『整理前の玩具箱』、『ピストルとマヨネーズ』というタイトルの文庫がこの本のよう。(3/31)

今週の読書(1月6日〜1月21日)

引き続きゲラの作業。『西澤文隆の仕事(一)透ける』(鹿島出版会、1988年)。(1/6)/週末、少々調子が悪くなる……。『オデュッセウス』の下巻など読みながら作業。(1/8)/仕事がはじまるとどうしてこうも本が読めないのか。(1/9)/いろいろとダメな感じにもどっている。動けない。かろうじて飛行機のチケットは買ったが宿を押さえる気になれないなど、、、。『地球の景色』を再読進める。(1/14)/ええと……、沖縄出張などを挟んで週末。やや復調したか。沖縄からの帰りに藤本壮介地球の景色』(エーディーエー・エディタ・トーキョー、2023年)を読み終える。8年間の断続的な旅日記的な連載エッセイであるためか、印象的な空間の捉え方、世界観がいろいろと書かれ、世界各地を訪れ、さまざまな建築を経験して反復されてゆく。最初の方で触れられる、世界には、崩壊し続けるものと再生し続けるものと循環し続けるものの3とおりの存在がある、という見方がおもしろい。ことばなどという元々非物質を扱っている感覚とはだいぶ違う。そのあたりから引き込まれる。(1/21)

今週の読書(2023年12月30日〜2024年1月5日)

動けなくなった。こんな風にダウンするのは久しくなかったと思う。U-NextのちSpotify。(12/30)/『オデュッセイア』(松平千秋訳、岩波文庫)。長らくオデュッセウスの物語だと思っていたが、これはむしろ女神アテナの八面六臂の活躍というかフィクサーぶり?の物語では。(12/31)/休みに入って再び読んでいた磯崎新建築における「日本的なもの」』(新潮社、2003年)をようやく読み終える。お正月。(1/1)/『オデュッセイア』上巻を読み終えた。だんだんオデュッセウスの話になってきたが、それにしても何かにつけて肉を焼いて酒を飲んでいる印象。(1/2)/久しぶりに畑の仕事(枯れ草を集めて焼いた)に参加。(1/3)/今年はフーコーを読もうと思って年末にちくまの集成を1冊購入、移動中に読み始める。序文付きのビンスワンガー『夢と実存』を手に取ったのは思えば大学入学した年の5月頃だった……。(1/4)/今年はまだ仕事始めではないのだが、打合せなど。図書館に立ち寄ってふらふらと棚を眺める。(1/5)

今週の読書(2023年12月11日〜12月29日)

この一週間ばかりいわゆる年末進行といえばいいのか、だいぶ睡眠時間を削る。/疲れた。/荒木飛呂彦荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』(集英社新書、2011年)、サスペンス映画編から先に読んだが、こちらが最初の本。折り目正しい名作紹介でありながら、マニアックでも衒学的?でもなく、本当に好きなんだなという好感ばかりが残る。あとがきでも触れられているように、東日本大震災のさなかに書かれ、刊行されている。そのことが一層、なぜホラー映画を見るのかを真摯に語りながら、作品を紹介してゆくというシンプルで直球のつくりにつながっているのだろうか。(12/14)/図書館で引用確認など必要書籍を借り込む。こちらは文脈がぼんやりとは見えるけど、本の山だけを見てもなんのことだかわからないだろうな。山田太一ユング、山師カリオストロ、、、。(12/15)/いろいろな出来事があって、年末。東浩紀ゆるく考える』(河出文庫、2019年)がとても読みやすい文章で書かれた良い本だった。新刊の伊藤比呂美森林通信』(春陽堂、2023年)がやはりすばらしい本だった。群像2022年5月号のエッセイ「愛について」を思い起こす。いろいろなことがあり、もう年末である。(12/29)

今週の読書(12月4日〜10日)

週末も深夜というか早朝まで稼働したのち、そのまま新しい週へ。/『荒木飛呂彦の超偏愛!映画の掟』(集英社新書、2013年)、とても面白い。こういう具体的な楽しみ方をわかりやすく語るものが最近、本をめぐっては少ないのではなかろうかと考える。書評が面白くなくては本そのものも読まれまい。(12/4)/何かを校了するとどうしても1日くらいは次の作業に入り込めない。折よく誘われるまま、かなり久しぶりに外でビール。黒田硫黄の新刊が出ている!と盛り上がって購入したものの(『ころぶところがる』)、どうやら7月頃に発売だった模様、もしかしたらその頃にも同じように盛り上がったような気もするがそれはまた別の新刊のときだったかもしれない。(12/7)/また新しい本について入校、ただちに仕上げの作業に。時計がカチカチ鳴る音が聞こえる……。/BECKをちゃんと聴いたことがなかった、などなどの出会いそびれたあれこれを聴く。「Odelay」(1996)、とても素晴らしい。/小田原のどかさんの『モニュメント原論』(青土社、2023年)入手。そういえば山内朋樹さんの『庭のかたちが生まれるとき』(フィルムアート社、2023年)がいいところで中断したままになっていることを思い出す。/アウグスティヌス神の国』、長々と続いたウァルロへの批判がようやく一段落して、プラトンはいい線をいっていたけど惜しい、など語りはじめ、俄然面白くなってきた。川名潤さんのzine『出版とデザインの26時』と並行して読む。こういう文章を読むたびに自分の工作舎史観的なところに気付かされ、知らなかった固有名詞を覚える。(12/9)/引き続き、この週末も作業。久しぶりに映画でも観ようとおもい、C・イーストウッドの「15時17分発、パリ行」(2018年)と「8マイル」(カーティス・ハンソン、2002年)。カーティス・ハンソンが亡くなっていることに気がつく。キム・ベイシンガーカーティス・ハンソンのペアは「L.A.コンフィデンシャル」(1997)でもそうだったのか。隈研吾の新しい新書、さわりだけ読むも面白い。(12/10)

今週の読書(11月29日〜12月3日)

熱はおさまってきたものの嫌な感じの頭痛がつづく……。/ともあれ、宮内悠介『ラウリ・クースクを探して』(朝日新聞出版、2023年)読了。それから蓮實重彦表象の奈落』(2018年新装版)も。サブタイトルに「フィクションと思考の動体視力」とあり、あとがきに「「批評」は、本質的に言い換えの作業にほかならない。翻訳とも呼べるその作業は、言い換えるべき対象としての他者の言説の中でまどろんでいるしかるべき記号に触れ、それを目覚めさせることから始まる。数ある記号のどれに触れて目覚めさせるかで、読む主体の「動体視力」が問われることにもなろうが[以下略]」とあったり、「技術の歴史という文脈で視線が語られるとき、まず排除されるのは才能という語彙だろう」とフーコーの視点の困難さを指摘することからはじまる「視線のテクノロジー」というフーコー論が収められていたりするのだから、「視力」をサブタイトルに掲げても構わないのかもしれないが、どうも微妙な違和感が残る。バルト、という固有名詞からより触覚的なイメージを感じてしまうからかもしれない。同じ編集者が本書の前に携わった書籍として挙げられている『スポーツ批評宣言』と何かしらの連動があるのだろうか(たったいま『プロ野球批評宣言』と混同していたことに気がついた……)。(11/29)/「あめりか / Hosono Haruomi Live in US 2019 」なるアルバムを見つけて聴きながら作業的な仕事……。インフルエンザのあいだに坂本龍一の懐かしいアルバムなど聴き直していたつづき。「Beauty」(1989)とか、とても良い。(12/2)/さる案件の佳境につきほとんど朝まで作業。(12/3)