ean9ceu@NDF.peq9uwg’s diary

。どな本だん読近最 https://twitter.com/ean9ceu

今週の読書(11月20日〜28日)

年末に向けていろいろな計画を諦めつつある……。/下巻の途中で中断している梅原猛聖徳太子論を再開。ついでにアウグスティヌスも再開。(11/20)/いつも同じことを書いているけれど、1週間の早いこと……。伊藤比呂美またたび』(中公文庫)入手、こんな本あったっけ?と思ったら、だいぶ以前に書かれた食べ物エッセイの文庫化だ。/図書館で借りてきた蓮實重彦表象の奈落』(青土社、2018年新装版)をドゥルーズのあいまに読むことにする。バルトで始まり、バルトで終わるのが印象的な批評論集。(11/25)/週末の読書を書いてまとめようと思っていたら、インフルエンザ……。コロナ以来の39度台後半の高熱……。気を取り直すまでのあいだ、ただただYouTubeでランジャタイを眺め、ようやく『表象の奈落』に復帰する。書き下ろしの「フィクション論」論がとてもおもしろい。こういう丁寧な悪口?を読みたいのだ。(11/28)

今週の読書(11月13日〜19日)

週末は休まず。少々風邪気味だったけれど、かぜ薬とうなぎでやり過ごす。/うなぎを待つ寒風のなか(開店前から人の途切れないお店だった)、菊地成孔の『戒厳令下の新宿 菊地成孔のコロナ日記2020.6-2023.1』のつづき。並行して、尾身茂『1100日間の葛藤 新型コロナ・パンデミック、専門家たちの記録』。私たちが当時の緊迫感、「外出自粛」「3密の回避」などという聴きなれない言葉にどのくらい戸惑い、不安を感じていたか、その言葉を発してきた側で何を考え、何がなされていたかが率直に語られる。意外にも政治が機能していると感じる記述もあれば、例の学術会議問題に通じる、現在の日本の専門家軽視(というより専門家という存在を知らないんだろう)も大いに感じる。それにしてもあの頃、自分が感じたこと、考えたり、考えまいとしたことをどれほどいま忘れていることか。(11/16)/今井むつみ+秋田喜美『言語の本質』(中公新書)を読み始める。/松本大洋東京ヒゴロ3』、奥付の手前のページに「マンガ 松本大洋 冬野さほ」。どんなふうにこの作品を描いたんだろうか、楽しかったのか、苦しかったのか。楽しかったならいいな。(11/17)/昨日も仕事だったが本日は(いちおう)休日。なんとなく手に取ったアンドリュー・カルプ『ダーク・ドゥルーズ』(大山載吉訳、河出書房新社)でも最後まで読みたいところ。(11/19)/そう思っていたものの、、、。(11/19)

今週の読書(7月8日〜11月12日)

あっというまに1週間すぎていった。この間、3冊の本の誕生に目処をつけた……。/と書いたのがもう4ヶ月も前なのか……。気持ちを改めることにした。文学フリマでブースを眺めて、このブログを思い出しました。/『マッカラーズ短篇集』(ハーン小路恭子/西田実訳、ちくま文庫)。「木、石、雲」に描かれた(朝からビールを呑んでる初老と言ってもいい年齢の男(いや、実際に短篇の最後の方では「老人」と呼ばれてる))の語る、愛の諸段階論。「わしがそれまでに感じたことのすべてが、この女のまわりに全部寄り集まったみたいだたった。」愛の神秘?と唐突にそれが奪われることの苦痛(男は妻に逃げられる)、そして見出した愛の科学的?方法論を語る。「どうだ、どのようにして愛しはじめたらよいか、わかるかね?」/そしてカメラワークと言ったらいいのか、夜中から朝まで開いてる深夜酒場に新聞配達の少年がやってくるところからはじまる流れがもうすばらしい。10分くらいの短篇で、老人はハーヴェー・カイテルで……、と考えはじめるとそれだけでしばらく楽しめる。/この1ヶ月あまり、もっともエキサイティングな読書は梅原猛なのだけど、それはもう少しまとまった機会に。/菊地成孔戒厳令下の新宿 菊地成孔のコロナ日記2020.6-2023.1』を。「音楽家の努めとは、聴衆に「生きていて良かった」と思わせること、その一点しかないと考えますし、逆に言えば、音楽にはその力しかない、と思っています。」「地球それ自体から、そして、聴衆、読者の皆様から共有するグルーヴに乗っていこうと思いますし、これは話が逆で、発生したグルーヴからは逃れられません。」などなど。

今週の読書(7月1日〜7日)

週末や移動時間を前に、さて何を読もうと本棚に向かうのが楽しい。資本論とかドゥルーズなどを一度は手に取るけれど、ただの週末。そう思って棚に戻して、文庫本の短篇集をカバンに入れる。/いつのまにか火曜日になっている……。引き続き先崎彰容さんの『維新と敗戦』(晶文社)を読む。テキストの末尾に添えられている読書案内がとても参考になる。「[「夏の終わり」を引いて]敗戦を詩人が言葉にしたとき、そこには強風が吹き荒れ、敗亡のかなしみと、挫折感を漂わせる美的な風景があるだけだった。巨大な秩序の崩壊を前にして、詩人は浮浪雲を描くことで、急いている時代の雰囲気を語った。じっとその様子を凝視する詩人だけは急くことはなく、燃え輝く太陽のもとに佇み、無言で放心しているのである。」「ロマン主義と「孤高」の詩人──伊東静雄」/挙げられていたひとたちから何か、と坂口安吾堕落論・日本文化私観』(岩波文庫)を。文章の調子の良さに惹かれる。「小説は事体をありのままに説明することではない。小説は描かれた作品のほかに別の実体があるわけのものではない。小説はそれ自体が創造された実体だからである。」「意慾的創作文章の形式と方法」/あっというまにまた週末……。でかけついでに古書店で文庫本の岡茂雄を買う。そのほか今週読んでいたのは近藤祉秋さん、大江健三郎追悼特集号、など。(7月7日)

今週の読書(2023年6月25日〜30日)

週末、打合せのあと、久しぶりに上野の東京国立博物館へ。企画展を見る体力がなかったので常設展をまわることにし、白い象の背に乗った普賢菩薩像などを眺める。少し風もあり、晴れたすばらしい午後。/四方幸子『エコゾフィック・アート』(フィルムアート社、2023年)、読み終わる。/今日マチ子さんの3冊、『Distance』『Essential』『From Tokyo』(いずれもrn press)。いかにわずか3年前の、しかもあれほど緊張したり想像だにしなかった経験をしながら、すみやかに忘れてしまっていることか……。/管啓次郎さんの詩集『一週間、その他の小さな旅』と同時に出た『本と貝殻 書評/読書論』(コトニ社)。軽やかな口語体の文章で、こんなにも自由にいろいろなことを論じられるということにいつも新鮮に驚かされる。「何ももたずに出発した/本は必要なページだけ破りとっていった」詩集に収められた「To the Open Ground(ひらけた土地へ)」より。/先崎彰容さんの『維新と敗戦』(晶文社)を読み直している。「彼ら〔『三酔人経綸問答』の三人、そういえばこれには岩波文庫だけではなく古典新訳シリーズ版もある〕は一見、勇気があるように見えるが、本当の勇気に衝き動かされてはいない。真の勇気のためには「学問」を地道にすることが不可欠だ、兆民は南海先生をつかってそう主張したのである」。なるほど、しかし自分も含め、兆民という人にあったここでスケッチされていない別の側面(情熱云々)で惹かれていることが多いようだ。その二つの断面にはそれなりのズレが含まれている気がする。/給料日なので本でも買おうと思い、思いとどまる。どうせなら週末に書店の店頭から買うことにしよう。(6月30日)

今週の読書(2023年4月30日〜6月24日)

いつのまにかだいぶ時間が……。/あまり本を読めず、かといって映画も観れず。/出張のあいだに梅森直之校注の岩波文庫幸徳秋水兆民先生』を読む。弟子たる秋水にはっきりと実業の才はまるでない、と書かれてしまいながらも、ただ理想に生きた人生だった、「迂闊に迄理想を守ること、是小生が自慢の処に御座候」といい切れるその気持ちよさ。/ルソーなどを訳すに際して、漢文を学ばなければならないと並行して読書を重ねていたことなど、解説に学ぶこと多。/四方幸子さんの『エコゾフィック・アート』を読んでいる。このところアート関係の書籍に接することが多い。来るホックニー展に向けて、『春はまた巡る』『絵画の歴史 洞窟壁画からiPadまで』など再読したいところ。どこまで敷衍してよいかは知らないが、現代絵画の描き手が何をしているのか、とりわけ、これまで写実的だったり美しかったり崇高だったりする絵画がいくらでも遺されている世界で、なお新しい作品を描こうとするときに考えていることとして読んでいる。(6月24日)

今週の読書(2023年4月16日〜29日)

気がつけばもう2週間も過ぎているなんて……。/村上春樹の新刊を読み終わり、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の再読をはじめる。どちらも面白い。/里見龍樹『不穏な熱帯』。いわゆる人類学の転回というのがどういうことなのか、フィールドで悩みながら実地に取りうる姿を探してゆくさまが、客観的な実況解説つきで描かれている風があり、面白くて勉強になる。要再読。/久しぶりに映画館へ。「ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー」。少し長い気もしたが、楽しいひととき。/来週から連休か……。(4月29日)